未だに謎のまま解明されていない地球上の遺跡8選

世界には解明されていない遺跡が多数存在する。

何故ここにあったのか、いつ繁栄したのか、何故滅びたのか。

研究者たちが長年研究しているにも関わらず、解明できない。

 

そんな遺跡たちを紹介しよう。


目次

与那国島海底遺跡

引用元:神秘的ダイビングスポット、日本最西端の与那国島「海底遺跡」を完全攻略!|沖縄ダイビングのことならベリーにおまかせ

日本版アトランティス

この呼び名にふさわしい場所が沖縄県に存在している。

日本最西端の与那国島には世界的に見ても珍しい海底遺跡がある。与那国島の”新川鼻(あらかわばな)”から100mほど沖に行ったところにある。

どう考えても人工的に加工されたとしか思えない巨石が数多く海底に沈んでいる。このような建造物が作られたという記録がどこにも残っていなのが不思議だ。

この海底遺跡が発見されたのは1986年のこと。趣味で潜っていたダイバーがどう考えても人工的に作られたとしか思えない地形を見つけたのが最初だ。

その後、何度も調査が行われ、自然地形説・石切り場説・自然地形加工説などの説が唱えられている。しかし、まだ決定的な証拠が出てきていないため結論は出ていない。

自然地形説

この説は、与那国島の周辺に文明が栄えていたとされる証拠が全くないことから唱えられた。

  • 岩が直線的な理由は『方状節理』によるもの。
  • 遺跡が東南方向に15度傾いているのは『八重山断層』と同じである。
  • 地上物が沈んだ場合、水面に長い間存在したことになるので水の浸食を受けるはずだが、その後が無い。

遺跡説

発見者に賛同した人達が唱えた説。発見された当初は一番有力視されていた。

  • 岩にくさびを打ったような跡が等間隔で付いている。風化など自然に出来るはずがないものだ。
  • 道路、排水溝など人工的に作られたとしか考えられない岩の組み合わせがある。

自然地形加工説

自然物と人工物の中間だとする説。

  • 巨石を運搬する技術は当時の人には無かった。
  • ヨーロッパの洞くつ壁画のように元々あったものに加工を加えた。

ポンペイ

イタリアのナポリにあった古代都市。映画にもなったので知っている人も多いかもしれない。

街は碁盤目状に作られており、排水溝なども整備されていた。また、コロッセオもあり娯楽の面も充実していたようだ。

見つかった当初は古代に繁栄した都市が徐々に滅んで遺跡になったものと考えられていた。しかしのちの調査でポンペイは紀元前8世紀頃に一瞬にして滅んでしまったことが分かった。

発掘作業中に地中に謎の空洞がいくつもあることを不思議に思い、石膏を流し込むと人間の形をしていたのだ。そんな空洞がいくつも見つかり、『火砕流』が原因ということが判明したのだ。火砕流に巻き込まれた人は高温のガスにより肺が焼け窒息死する。その後、火山灰が降り積もり、火山灰が固まった後に遺体は朽ち、空洞だけが残ったのだ。

滅んだ原因は分かっているが、当時にしては科学技術が進んでいたポンペイの街で、何故ここまで大量の人が火砕流に巻き込まれたのかは解明されていない。

サクサイワマン

引用元:Sacsayhuamán Walls|Tracking Ancient Man

かつて巨大な勢力を誇っていたインカ帝国の都市クスコの跡地はとても不思議な構造をしている。クスコの北部にあるサクワイワマン遺跡にその城壁跡がある。

この城壁は、粘土やくさびなど、固定する道具を全く使わずに作られた城壁なのだ。日本の城壁も同じ手法で作られているが、作られた年代が比べ物にならないほど古い。さらに、岩と岩の隙間にはカミソリが入るほどの隙間もないのだ。この時代にここまで正確に石を組み合わせる土木技術が存在していたのが驚きだ。

サクワイワマンの謎はこれだけではない。城壁の近くに重さ2万トンもある岩が置かれているのだ。岩には不思議な模様や、加工の跡があり、当時からここにあったことを示している。この岩はあまりにも大きすぎて、発見当初は最初からここにあったものであると考えられていた。後の調査で、この岩は逆さになっていることが判明した。当時の技術で2万トンもの大岩を動かすことができたのだろうか?

※ちなみにほぼ同時期に作られたピラミッドの岩の大きさが2トンほど。

ギョベクリ・テペ

引用元:Göbekli Tepe Infographic|Anciet History

ギョクテリ・テペ遺跡はイラク、シリアの国境に近いトルコ東南部にある。1963年の調査でギョクテリ・テペ遺跡があることは判明していたが、本格的な発掘が始まったのは1995年に入ってからだ。

まだ、発掘が終わっているのは全体の1割程度だが、大きな石を組み合わせて作られた神殿が見つかった。

この遺跡の不思議なことは”とにかく古い”ということだ。

炭素同位体測定などの様々な分析を行った結果、紀元前1万年にこの遺跡は作られたものであると断定された。歴史の授業で『人類最初の文明はメソポタミア文明である。』と習った人が多いと思うが、このギョクテリ・テペ遺跡はメソポタミア文明の7000年前に存在していたのだ。

基本的に宗教は農耕が始まり、安定して食物が得られるようになった後にできたと考えられていた。そうしないと、いつ獲物が取れるかわからないのに、神殿作りに人員を割けないからだ。しかし、このギョクテリ・テペ遺跡周辺には人が定住していた痕跡が全く無く、神殿に書かれている象形文字を彫るための道具も見つかっていない。

ギョクテリ・テペ遺跡は農耕が始まる前、狩猟時代に宗教が始まったことを示している。これまでの考古学の常識を覆してしまった遺跡なのだ。

これから発掘が進んでいくことが楽しみな遺跡である。

ポル=バジン遺跡

引用元:POR-BAJIN: A 1,300-YEAR-OLD MYSTERY HIDDEN IN SIBERIA|Disclose.TV

ロシアの首都モスクワから3000km離れたモンゴル国境に近いところにポル=パジン遺跡はある。もともとは『トゥバ共和国』という独立した国があり、トゥバ語でポル=パジンは”土の家”という意味だ。

この辺りは二つの山脈に挟まれた地形のため、冬は非常に寒い。山脈の間にある広大な湖の真ん中にポル=パジン遺跡は作られた。建てられたのは約1300年前、発見されたのは1891年のこと。1世紀も前に見つかったが、未だに謎に包まれた遺跡だ。

誰が建てたのか?暖房設備は?何のための施設?

ウイグル族の強国によって建てられたことまでは分かっているのだが、誰が建てたのか全く分からない。普通は大きな建物を建てると、「私が建てた!」とアピールするために何らかの記録が残るはずだ。ほとんどの遺跡を建て人物が判明しているのは、俺が建てたとアピールする承認欲求のためだ。ポル=パジンを建てた人は聖人のように欲がなかったのだろうか?

次に、極寒の地シベリアに存在しているのに、暖房設備が全く備わっていない。寒い地域で見つかる遺跡には必ず、『暖炉』や『囲炉裏』などの暖房器具が発掘されるのだが、ここでは一つも見つかっていない。

最後に、何のための施設かわからない。発見当初は宮殿のようなものと考えられていたのだが、暖房器具が無いことから人が常にいた可能性は低い。だが、造りは確実に居住用になっているのだ。

 

保存状態も良く調査がしやすいはずなのに、謎に包まれている不思議な遺跡だ。

 

ランス・オ・メドー

引用元:The Norse in Vinland|SAGA THING

カナダの東端にあるニューファンドランド島に『ランス・オ・メドー遺跡』がある。1942年にコロンブスがアメリカ大陸を発見したという、定説を覆したことで有名になった遺跡だ。

この遺跡ではコロンブスが大航海を行う500年も前にヨーロッパ人が住んでいた痕跡が多数見つかっている。

ここに住んでいたのは善良な市民ではなかったようだ。ランス・オ・メドーには100人近くの『バイキング』が住んでいたということが分かっている。鉄製の道具を作るための溶鉱炉や、当時最先端の技術を用いた造船所が見つかっている。

略奪のために、人々が協力して生活していた最古の集落として有名になった。

モヘンジョダロ

引用元:Mohenjo-Daro – What Lies in History|PAKISTAN INSIDER

モヘンジョダロはインダス文明最大級の都市だ。紀元前2500年~紀元前1800年頃まで存在し、最大で5万人近くの人々が住んでいた。

モヘンジョダロの特徴は非常に計画的に、とても優れた建築技術を用いて作られたことだ。周囲は堅牢な城壁に囲まれ、下水道や水洗トイレ、巨大な浴場まであった。これらを計画的に建築した証拠として、広大な街の材料である瓦全てが同一の規格で作られているのだ。

これほどの巨大都市が一瞬にして滅んでしまった原因は諸説あるが、このモヘンジョダロが有名なのはこの記録があるからだ。

それは太陽を一万個集めたほど明るく、輝ける炎と雲のそそり立つ柱となって巨大な死をもたらす鉄の稲妻と呼ばれる未知の兵器だった。(中略)死体は見分けがつかないほど焼きただれ、髪の毛と爪は抜け落ちてしまった。器は外から力を加えないのに壊れてしまった。鳥は白くなっていた。数時間後、食べ物はすべて腐ってしまった。引用元:マハーバラータ

この記録を裏付ける出土品が見つかっている。まず、50ほどの遺体が外傷もなく突然死したような状態で見つかっている。状態から病死や戦争などではないことが明らかだ。さらに、この遺体から強い放射線が検出された。

次に、遺跡の中に『ガラスの街』と呼ばれる区画がある。このあたりで採集された石はガラス質で、分析したところ1500℃以上の高熱で加熱され、急速に冷え固まったことが分かった。

核爆発によって砂などが溶け、その爆風で上空高くまで舞い上げられ、再び落下中に急激に冷やされる事でガラス状になることはよく知られている。

しかし、近年この説は否定されている。大洪水が原因で滅んだ証拠が見つかったのだ。出来れば、核兵器説の方がロマンがあったのでそっとしてほしいところだ。

コスタリカの石球

引用元:コスタリカの石球の謎|misaのブログ

コスタリカにある岩が謎に包まれている。コスタリカのディキス地方にある密林の中に大小様々な岩が転がっている。この岩は限りなく『真球』に近いのだ。※真球とは正確な球のこと。理論上でしか存在しない。

真球と言うとボールベアリングなどに使われている。身近なもので言うと自転車の車輪の中身だ。ボールベアリングは中に入っている鉄球が真球に近くないとキチンと性能を発揮できない。○国製のボールベアリングはすぐに止まってしまう。真球を作るのは現代人にとってもかなり高度な技術を要するのだ。

西暦300年~800年に栄えたディキス石器文化の頃に作られたこれらの石球は手作業で丸く削られている。技術的に手作業で石を真球に近く削るのは不可能であると書いてあるサイトも多数存在するが、日本の石材加工業者に手作業で石を削ってもらったところ、不可能ではないとの結論が出ている。

しかし、石球の中には誤差が0.2%以内のものもあり、非常に高い水準で作られている。長い時間をかければ不可能ではないはずだが、誰が何のために200個を超える石球を作ったのかは不明だ。

まとめ

調べれば調べるほど謎が深まるばかり。

遺跡が存在するということは過去に確実に繁栄していたということだ。現在の科学技術ではここまでしか解明できないようだ。

将来謎が解明される日が来るのだろうか。

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