【閲覧注意】日本軍731部隊が行っていた恐怖の人体実験ランキング

今回は第二次世界大戦中に人体実験を行っていたとされている731部隊に焦点を当ててみた。

731部隊が行っていたとされる実験の中で、特に非人道的問われているものをランキング形式で紹介する。

<<注意>>これらの実験は実際には行われていないと主張する論文も存在する

 

731部隊とは

まずは731部隊のについて軽く説明しておく。

731部隊は、第二次世界大戦期の大日本帝国陸軍に存在した研究機関のひとつ。正式名称は『関東軍防疫給水部本部』で、731部隊の名は、その秘匿名称(通称号)である満州第七三一部隊の略。満州に拠点を置き、兵士の感染症予防や、そのための衛生的な給水体制の研究を主任務とすると同時に、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関でもあった。そのために人体実験や、生物兵器の実戦的使用を行っていたとされる。『引用元:731部隊|Wikipedia

石井部隊という別名もあるが、731部隊の方が知名度が高い。

満州で半日活動を行っていた組織の人たちを捕らえ、実験材料「マルタ」として特別監獄に収監した。収監された人の中には半日活動に関係ない人や子供も含まれていたという話もある。

人体実験の犠牲になった人は3000名を超えたとされている。

731部隊が行っていた実験のほとんどは生理学的実験という分野に属している。

凍傷実験・細菌爆弾の効果判定など、人体をどこまで破壊して、どうやれば回復するのか、どのくらいの期間持ちこたえられるかという研究だ。

実際には生理学的実験は、731部隊以外でも行われていた。

 

細菌実験

細菌兵器は培養方法さえ確立してしまえば比較的安価に製造できる点から、軍事的な予算が少ない国に好まれる傾向がある。

第二次世界大戦中の日本も例外ではなく、生物兵器の研究が行われていた。この研究を担っていたのが731部隊だ。研究目的は感染症対策の研究と銘打っていたが、対人用生物兵器の開発が本当の目的だったとされている。

扱っていた病原菌はペスト・チフス・炭疽菌・コレラ・赤痢など多種にわたる。

戦後の裁判で731部隊の部隊長であった石井は「炭疽菌についていえば、もっとも有効な菌であると確信しました。量産できるし、抵抗力があって猛毒を保持し、致死率は80%~90%にのぼる。最も有効な伝染病はペスト、媒介節足動物(ノミなど)による最も有効な病気は流行性脳炎であると考えました。」と供述している。

731部隊が生物兵器の研究を行っていたことを示す証拠は多く、ノミの増殖研究も行っていたこともわかっている。

731部隊における人体実験の主目的は伝染病の研究であると同時に対人用生物兵器の開発であった。マルタにはペスト、コレラ、チフス、赤痢、梅毒スピロヘータなどの生菌を注射する細菌学的な人体実験が頻繁に行われた。通常、人体実験とは生体解剖を意味し、マルタは生きたまま解剖された。これは、被験者が死亡してしまうと人体に雑菌が入るため、マルタが瀕死の重症で、人体に雑菌が入らないうちに解剖して臓器などを取り出す必要があったからである。『引用元:『731 石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く』 新潮社 2008年、132頁』

このように、被験者は死亡する直前から解剖をされていた

細菌感染による長期間の苦痛と、生体解剖の2点が非人道性を上げている。

 

全採血

体中の血液を全て抜き取るとどのような症状が出るのかを観察するための実験である。

人間の血液の量は体重50㎏の人であれば薬4Lほど。そのうちの20%を短時間で失うと出血性ショック、30%を失うと死亡する可能性が飛躍的に上昇する。

この事実は第二次世界大戦以前から判明していたのだが、なぜ再度実験する必要があったのか。

このような証言がある。

Mさん(元1644部隊員)

1644部隊では、感染実験をした”マルタ”から全採血(身体中の血をぬきとる)した。

“ロツ“ほまるで鳥かごのようで、高さ1m、縦約1m、幅約1m20cmくらい、大人が座っているのがやっとの広さしかありません。
鉄棒で囲われ、床板だけが5寸角の角材をボルトで締めて敷かれていました。
彼らは全裸でその中に入れられていました。
一瓶ほど採血した頃、“マルタ“はものすごい痙攣を起こしました。
もちろん“マルタ“は眠ったままです。その痙攣がおそらく死の瞬間だったのではないでしようか。採血も終わりの頃になるとガクッ、ガクッといって気泡が出てくるんですね。
そうすると軍医といっしょに来た兵隊が靴のまま“マルタ”の心臓の上に乗り、踏みつけるんです。血をしぼり採るために。

正確にどれくらいの血液を失うと死亡するのかを実験していたようだ。

心臓の上に乗って最後まで絞り出していたという証言がかなり印象に残ってしまう。

 

凍傷実験・低温実験

どれくらいの低温にさらされると、人体が損傷してしまうのかを見る実験。

日本が寒い地域を攻めるためには『凍傷』は克服が必須の課題であった。そのため、捕虜を用いて、どれくらいの低温に耐えられるのか・凍傷から回復させる方法などを実験していた。

冷凍庫を使って冷やす場合と、外が寒い場合は普通に外で行っていた。

 

冷凍庫の場合は-40℃~-100℃ほどの超低温を作り出せる強力なもので、この中に被害者の手を入れさせ急速冷凍。

外気温が-20℃以下の時は、被害者を屋外に縛り付け、腕に塩水をかけて凍傷を加速させた。

 

棒で叩くと凝った肉がそげ落ちて、骨だけになったという証言もある↓

完成後、中国の被害者が両手を取り出すと灰白色になっていた。
表面には霜の層ができており、完全に人間の体ではないようだった。
ある日本人が棍棒で打つと、つららのように砕けてしまった。
中国の被害者の指を一本ずつ打ち落とし、音を鳴らしていた。
中国の被害者は絶望と恐怖の叫び声をあげ、傍観していた日本の実習生は目を閉じたりしていた。
だが目を閉じることは許されない命令が下された。

『引用元:公判書類 1950: 480』

 

番外編 生体解剖

生きたまま解剖する実験。

この実験は単体で行われていたというより、様々な人体実験の結果を見るために行われていたので、単体ではランクインさせなかった。

中国の乞食と日本の子供を皮のボールで遊ばせて友達にし、日本人が日本の子供を使って中国の乞食を731大院に入らせ、食べ物を使っておびき寄せて「身体検査」を受けさせた。
中国の乞食は服を脱ぐときに子供のように恥ずかしがって笑顔になった。
手術台に上がり、麻酔をかけて、日本人は慣れた手つきで中国の乞食の腹を開き、心臓、肝臓などの器官を取り出し、準備しておいた生理食塩水に浸けた。
身体を離れた心臓は日本人の血まみれの手の上でもまだ鼓動していた。
「手術」が終わると日本の子供は中国の乞食の残骸を焼いた。

 

低圧実験

気圧を下げた減圧室に被験者を入れ、どのような影響が出るか見る実験。

高高度を飛行する作戦が人体に与える影響を調べるために行われた。

被害者は減圧室に入れられ、減圧されながら極度の苦痛の表情になり、叫びたくても声が出ず、最後には眼球が飛び出し、腸などの内臓が腹から飛び出し、地面に流れてしまった。

※この実験に関しては真空状態に人間がさらされてもこのような事にはならないことが証明されている。

ただ、この低圧実験が行われていたことは確かなようだ。

 

海水代用実験

戦時中は負傷した兵士の輸血用血液が足りなくなっていた。そのため、血液の代わりになるものを探していた。その候補の1つが海水であった。

薄めた海水を血管に注入し、血液の代わりになるかを調べていたのだ。

当時、医学部に入学したばかりのHさんの証言が残っている。

Q、実際には海水が血の代わりになる?
A.実際には余り役に立たないと思うけど、何にもないですし、戦争中は代用血液になるものがない。血液がない。
血液に代わるものとして手に入りやすい海水を生理的食塩水にどうかと。

少し化学と生物学の知識があれば絶対に代用できないことはすぐに分かるのだが、戦時中は軍医たちが真面目に研究していた。

ただ、実験をしていたほとんどの医師が意味がないことを知っていたようだ。

 

肺切除実験

名前の通り肺を切り取る実験。人間は肺を切り取るとどうなるのかを観察したかったようだ。

ガンなどの病気で肺を切除するのではなく、何の意味もなく肺を切り取る。これほど非人道的な行為があるだろうか。

現代の医学では片方の肺を失っただけでは人間は死なないことがわかっているが、このような人体実験によるデータが生かされていることは言うまでもない。

A.肺手術のここがコツだぞ。教授は肺切除手術を成功させた。人間は方肺でも生きていけると…教授は満足感があったのではないかと。
肝臓を一部除去して縫合する実験はうまくいっていなかった。(肝臓)は血の塊で出血多量で…。しかし、当時、胃と肝臓の切除をしたのは覚えている。

生体解剖の犠牲者デール・プランベック少尉の遺族ジンジャー・ブルーナーさん

引用元:『旧日本軍が本当に人体実験をやっていたなんて…昭和史最大のタブー“九州大学生体解剖事件” 』

 

 

爆弾の効果判定

爆弾が爆発した地点からの距離と負傷の具合の関係を調べるための実験。

この実験に用いられた爆弾は普通の爆弾だけではなく、細菌爆弾も用いられた。

炭疽菌爆弾の場合、マルタは榴流弾の弾子で負傷し、血だらけとなる。マルタは担架で部隊に運ばれ、どのような傷であれば感染が起こるか、何日間で発病するか、そしてどのように死んでいくかが観察された。多くの場合、全員が感染し、数週間以内に死亡している。最後には内臓のどの部分が最もダメージを受けたかを明らかにするために、解剖された。

引用元:『常石(1995年)、156頁』