廃墟となった街、世界のゴーストタウンランキング

かつては栄えていたのに事故などの影響で人が住まなくなった街、ゴーストタウン。

事故や事件、産業の衰退など様々な理由で人が住まなくなった都市が世界中に存在している。

今回はそんなゴーストタウンを最盛期の人口でランキングにした。

 

期間は無人となった年~取り壊されるまで、人口は最盛期のものとして記載している。

今回は最盛期の人口でランキングを作成した。

目次

10位 ノース・ブラザー・アイランド


reivax from Washington, DC, USA, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons』

所在地:アメリカ/ニューヨーク
期間 :1963年~
人口 :???

1880年後半~1930年代までこの島にはリバーサイド病院という病院が存在していた。この病院では猩紅熱や天然痘、チフスにハンセン病といった伝染病を持つ患者を隔離していた。

第二次世界大戦中には退役軍人とその家族が暮らす場所に変わり、戦後の1950年代にはヘロインなどの薬物中毒者を治療する施設となった。1960年代には施設内の患者たちの病状悪化などが原因で閉鎖された。

その後島内は無人となり、廃墟が当時のままの姿を残している。現在は人の出入りが無いことで多くの種類の鳥が繁殖しており、鳥の楽園とも呼ばれている。

この施設では「腸チフスメアリー」と呼ばれる女性が20年以上島に閉じ込められたという負の歴史がある。

腸チフスメアリー

腸チフスは感染すると重度の腹痛・下痢により衰弱していき、最悪の場合は死に至る恐ろしい感染症である。メアリーマロンという女性は世にも珍しい健康保菌者であった。そのため、多くの人に知らぬ間に感染させてしまい、「5人の死者を含む少なくとも122人」に感染させたとされている。そのため、1938年11月にそこで亡くなるまでこの島内にある病院に隔離された。

かつて使用されていた造船所も老朽化が進んだまま放置されている。


Julie McCoy (Kayak Cowgirl), CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

 

9位 オラドゥール=シュル=グラヌ

所在地:フランス

期間 :1944年~

人口 :642人

フランスの中部にある小さな村。あるというより、あったという方が正しい。

この村は第2次世界大戦時にナチス武装親衛隊に占領されていた。1944年6月6日に連合国軍による史上最大の上陸作戦「ノルマンディー上陸作戦」が行われた。この情報が入ったナチス武装親衛隊は、撤退する際に当時の村人のほぼ全員にあたる642名を虐殺した

1つの村が、1日でゴーストタウンと化した。

戦後はその悲劇を忘れないよう廃墟化した街は残され、近くに新たな村が作られた。

この廃墟の壁にはまだ焦げ付いた跡があり、フランス語と英語で「忘れるな」と書かれている。

今では日中には多数の観光客が訪れにぎわっているが、夜は幽霊が出没するという噂もある。

ここに出没する幽霊は恨みの感情が強いに違いない。

 

 

8位 コールマンスコップ

所在地:ナミビア

期間 :1954年~

人口 :1200人

アフリカ大陸のナミビア共和国にある「コールマンスコップ(Kolmanskop)」は1900年代前半から中盤にかけて栄えた街だ。1908年にこの地域でダイアモンドが取れることが分かり、ドイツ系の人たちが多数移住してきた。

そのため、コールマンスコップは西洋風の建物が多く、最盛期には、ボーリング場、映画館、カジノ、プールも営業していた。また、住民の多くが移民であり、ダイヤモンドの運搬にも必要だったため鉄道までも整備されていた。

しかし、第二次世界大戦によりダイヤモンドの価格が暴落。その結果町は衰退し、1954年には完全なゴーストタウンとなった。

今では砂に埋もれた西洋風の町がノスタルジックな雰囲気を醸し出している。この風景を見るためのツアーが組まれるほど人気な観光地となっている。

7位 ベルチテ

所在地:スペイン
期間 :1939年(1964年)~
人口 :1700人

スペイン内戦により破壊された街。

1809年のスペイン独立戦争、1937年のスペイン内戦である。この2つの戦争によりベルチテの市街地は破壊され、人が住めない状態となった。戦争の記憶を残しておくために現在もそのままの姿で残されており、近くに居住用の新市街地が建設された。

1964年に廃墟に住んでいた最後の1人が新市街地へ移住し、完全なゴーストタウンとなった。

 

6位 セント・エルモ

所在地:アメリカ/コロラド州

期間 :1920年~

人口 :2000人

セントエルモはアメリカ合衆国コロラドにあるゴーストタウン。サワッチ山脈の中ほどにあり、標高3,000mに位置する。

金銀採掘が盛んとなった1880年に創設され、1890年代の最盛期には2000人近くの労働者やその家族などが居住した。

近くにはメアリー・マーフィー鉱山やパイオニア鉱山などの有名な鉱山が多数存在している。

5つのホテル、鉄道、サロン、雑貨店、市庁舎、ダンスホール、新聞社、学校などが設置された。

だが、1920年代には鉱山の閉鎖により人口が激減。それに伴い鉄道も廃線、郵便局も撤退し、1950年にはすべての住人が退去してしまった。

今では紅葉が綺麗なゴーストタウンとして観光化されており、車で見て回ることができる。

 

 

5位 セントラリア / アメリカ合衆国 ペンシルバニア州

所在地:アメリカ、ペンシルバニア州

期間 :1962年~

人口 :2761人

セントラリアは巨大な石炭の地層があり、炭鉱の町として栄えた。

最盛期には炭鉱で働く家族が2761人暮らしていた

だが、1962年5月に炭坑内で火災が発生。これが石炭の地層に燃え移り、大規模な火災が発生した。埋蔵されている石炭が非常に多かったため、2022年現在、いまだに燃え続けている。


撮影者:Travis Goodspeed

この火災で地表の温度は高いところで80度に達し、地下水は水蒸気となって地表から噴き出している。この水蒸気には有毒な成分が含まれ、二酸化炭素や一酸化炭素も噴出している。


撮影者:Peter & Laila

火災の原因は特定されていないが、ゴミ集積所のゴミを焼却した際に燃え移ったという説が有力。まさかそこまで地表に石炭の地層があるとは思わなかったのだろう。

火災の消火には莫大な費用と技術面の問題があったため、政府は消化を断念。

住民に立ち退き料を支払い、退去させた。

ただ、2022年現在、煙等がそこまで人体に有毒ではないとの研究結果が出たため、立ち退き勧告は解除されているそうだ。

 

4位 後頭湾村


撮影者:Viaggio Routard

所在地:中国/浙江省/嵊泗(ションスー)列島
期間 :2002年~
人口 :3000人

東シナ海に浮かぶ「ジョウ泗列島」。その中の枸杞島(くこじま)はかつて漁業でとても栄えていた。最盛期には人口が3000人を超え、かなりの規模の漁村であった。

だが、産業の移り変わりによって漁だけで生計を立てられなくなり、人が離れ2002年からは無人島になった。

人がすまなくなってまだ日が浅いため、建物は原形をとどめていて、その周りをツタなどの植物が覆っている。その様子は天空の城ラピュタに非常に似ているとして有名になった。

一般人でも簡単に入島できるので、日本人観光客もかなり多いようだ。

3位 端島(軍艦島)

所在地:日本、長崎県

期間 :1974年~

人口 :5267人

最盛期の人口密度は83,600人/km2と世界一であった。

 

ダッカ(バングラディシュ)36,941人
東京都豊島区23,287人
もともとは個人所有の炭鉱だったが、1890年には三菱によって買収され、鉄筋コンクリートの集合住宅などが所狭しと立ち並んだ。その姿が軍艦のように見えることから軍艦島として有名になった。正式名称は端島(はじま)。

最盛期には5,000人以上の労働者が暮らし、小中学校、映画館、パチンコ屋までもが存在していた

だが、石炭から石油へのエネルギー革命により石炭の需要が減少し1974年に閉鎖された。

2009年から観光ツアーで入島できるように整備されている。

ただし建物がある地域に行くことはできない。

 

2位 ボディ / アメリカ カリフォルニア州

所在地:アメリカ,カリフォルニア州

期間 :1932年~

人口 :10,000人

アメリカにはゴールドラッシュ時に栄え、ゴールドラッシュの終わりと同時に廃墟となった町が数多く存在している。

その中でもボディは最盛期の人口が非常に多かった街だ。1879年には一攫千金を夢見た人々が7,000人も暮らしていた

だが、モンタナ州やユタ州で新しい金の鉱脈が見つかると、人々はすぐにここを去っていった。人口の減少とともに1913年に街は閉鎖された。閉鎖後も1920年までは120名ほどが暮らしていたとの記録がある。しかし、1932年に定住する人が0人となり本当のゴーストタウンとなった

1961年にはアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定され、毎年多くの観光客が訪れる場所とっている。

廃墟の中ではかなり訪れやすい場所だ。

 

1位 プリピャチ

所在地:ウクライナ

期間 :1986年~

人口 :49,360人

プリピャチと聞いてもピンとくる人は少ないが、「チェルノブイリ」と聞けばどんな街かすぐに理解できるはずだ。

この街はウクライナで1970年から約10年かけて建造され、1979年にチェルノブイリ原子力発電所の従業員約5万人が暮らす街として誕生した。だが、完成から7年後の1986年に発電所にて臨界事故が発生。
放射性物質が大量にまき散らされる事態となった。

原発の核燃料棒が超高温になり、周りの金属製容器を溶かしながら融解。「象の足」と呼ばれる形になって今も大量の放射線を放出している

象の足から出ている放射線量は80Sv/時。
放射線による高度急性障害が起こる線量は7〜10Sv。

象の足の近くに5分間滞在すると命の危険があると言われている物質だ

これだけの危険があったにもかかわらず、当時はすぐに閉鎖されることはなかった。

作業員の事故死や病人が多発したにも関わらずだ。だが、さすがに大量の死者が出始めたため、全員が強制退去となりゴーストタウンとなった。

今では大型の野生動物の宝庫となっている。

 

 

 

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