今回は日本航空株式会社(以下JAL)と全日本空輸株式会社(以下ANA)が運用した旅客機で運用期間が短かった順に紹介していきたいと思います。
4位 ボーイング727‐100
『引用元:Eduard Marmet, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons』
10年間(1966年~1976年)
最後に紹介するのはボーイング727‐100です。
ボーイング社が開発したジェットエンジン3発搭載型の小型ジェット旅客機で、ANAは初のジェット機として導入し、JALはCV880から置き換わる形で導入され信頼性と経済性の高さにより日本国内線のジェット化に大きく貢献した機体です。
東京から大阪までの所要時間26分は民間旅客機では未だに更新されていない記録で、スピードと運動性に優れていた証明となっています。
特に全日空では橋幸夫さんと吉永小百合によるイメージソング「そこは青い空だった」を発表。
大きな期待感をもって導入していたことがうかがえます。
ANAでは727‐100は73年に727‐200に置き換わる形で退役、JALでも75年に2機を残して退役しましたが残った2機はチャーター便を主として88年まで運用されました。
727‐100自体は10年と短い期間でしたが、後継の727‐200は日本の高度経済成長期からバブル成長期までを空から支えるベストセラーとして国内線で活躍したのです。
4位 マクドネル・ダグラスMD-11
『引用元:KLM_McDonnell_Douglas_MD-11_PH-KCK.jpg: Boushh_TFA from Kortenhoef, The Netherlandsderivative work: Altair78, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons 』
10年間(1994年~2004年)
MD-11はマクドネル・ダグラス社が開発した大型ジェット旅客機です。
この機体の特徴は3基のジェットエンジンが搭載されている事です。
垂直尾翼から生えるエンジンは今見ると珍しさもありますが70年代頃のエンジンの信頼性、洋上での飛行制限との兼ね合いから生まれたこのレイアウトは当時ではそこまで珍しいものではありませんでした。
しかし90年代にもなるとジェットエンジンの信頼性も向上しエンジン2発でも洋上の運航が可能になった結果このDC-11が最後の3発機となりました。
日本ではJALが「J-bird」の愛称で94年に導入しましたが、上記の洋上運航の規制緩和と双発機と比べ燃費が悪い事が痛手となり徐々に767-300ERと777に置き換わっていき最終的には04年をもって退役となりました。
2位 コンベアCV880
『引用元:Ken Fielding/https://www.flickr.com/photos/kenfielding, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons』
9年間(1961年~1970年)
1位のDC-7Cから置き換わる形でデビューしたのがCV880です。
ゼネラル・ダイナミクス社の旅客機部門コンベア社が開発した中型ジェット機で、JALが国内線初のジェット機として導入しました。
特徴は「世界最速」をセールスコピーに掲げ、速さを徹底的に追求した事で、超音速戦闘機用エンジンの改造型を採用しボディ形状も空気抵抗を抑える事が第一とし設計されました。
しかしあまりの速度への追及ぶりからくる操縦の難しさや燃費の悪さが災いし、わずか9年での退役となってしましました。
世界的ロックスター「エルビス・プレスリー」がプライベート機として所有した事でも有名です。
2位 ボーイング737-700ER
『引用元:ボーイング737‐700ER|wikipedia』
9年間(2007年~2016年)
ボーイング737‐700ERは全日空が「ANAビジネスジェット」の名前で合計2機導入した小型ジェット旅客機です。
主に成田からムンバイ便で使用されました。
737シリーズ自体は今も現役で日本の空を飛び交う小型機の主力です。
しかし、この700ER自体はわずか10年に満たない間しか飛ぶことが出来ませんでした。
その名前の通りビジネスクラスに特化した旅客機で、2号機に至っては全席ビジネスクラスのみというチャレンジングな使用でしたが、運用コスト面での折り合いがつかなかったようで9年で退役となったようです。
1位 ダグラス・エアクラフト DC-7C
『撮影者:Lars Söderström』
7年間(1958年~1965年)
DC-7Cはダグラス・エアクラフト社が開発した旅客機で、今回のラインナップでは唯一のレシプロエンジン搭載の大型旅客機になります。
レシプロエンジンは、往復動機関あるいはピストンエンジン・ピストン機関とも呼ばれる熱機関の一形式である。20世紀中盤以降、航空機では大排気量・高出力のものからガスタービンエンジンに置き換わった。『引用元:レシプロエンジン|wikipedia』
この機体が採用された50年代の旅客機はジェットエンジン搭載型の大型旅客機が本格的に運用され始めた過渡期にあたり、商業的な成功を収める事ができませんでした。
日本ではJALが58年から65年にかけて運用しました。
ジェット機を投入するまでの繋ぎが本機の役割であったため運用期間こそ短いですが、4発のレシプロエンジンによる航続距離や国際線のスピードアップ化国際線へと移り変わってからは座席数の増加に貢献しました。
羽田―サンフランシスコ便においては一部座席やラウンジに障子など、日本風の装飾が採用され外国人利用者に喜ばれています。
短い期間でしたが「ロイヤルアロー」の名称で親しまれ、後に来るジェット時代への橋渡し役として使命を全うしました。
まとめ
いかがだったでしょうか?
時代の波に揉まれたり、その性能の高さに翻弄されるなどと様々な理由から短命に終わった旅客機達でしたがどの機体も短い期間に多くの人々を乗せ、乗客とパイロット達から愛されてきました。
今後仕事や旅行で旅客機に乗る事があったら自分が乗る機体を調べてみると、空の旅がまた少し違った味わいになるかもしれませんね。